日 時:5月24日(土)午後2時30分〜5時00分頃
場 所:早稲田大学政治経済学部内、現代政治経済研究所会議室(1号館2階)
発 表 者:朴 順愛(湖南大学校助教授・東京大学客員研究員)
一 序
1 「情報委員会」の対外宣伝方針
2 日本政府側製作のドキュメンタリー・フィルムやニュース映画
二 対米宣伝と宣伝対象
1 従来の宣伝対象
2 アメリカにおける対日感情の悪化
3 アメリカの世論政治
三 写真報道事業の構想
1 宣伝における写真媒体(『ライフ』)
2 写真報道事業の構想
3 情報写真協会設立案
四 写真事業の方針と分布
1 『写真週報』の発刊
2 財団法人写真協会の設立
3 対外写真事業の方針
4 指導と助成
5 分布と販売
五 結
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1 「宣伝方針及要領」一九三二年九月十三日
「対外宣伝ト国民精神ノ作興並世論指導トヲ併行的ニ実施ス而シテ即効的時局宣伝ヲ主トシテ遅効的文化宣伝ヲ従トス」
宣伝実施要綱
(一)「対米宣伝ハ対象ヲ国民大衆ニ置キ現実的問題ニ付通俗的啓蒙ヲ行フ之カ為主トシテ新聞、講演、映画、写真ノ利用及本邦在留米人ヲ目標トスル啓発ニ在米機関ヲ利用ス」
映画:「本邦映画会社、映画俳優中適当ナルモノヲ選定シ米国会社ト連絡セシム」
写真:「適当ナル新聞社ヲシテ『グラフ』発行セシム」
2 「国際映画事業概要(其ノ一)米国映画事業概要」一九三七年八月一四日
日本政府側がドキュメンタリー・フィルムやニュース映画を作る際に、日本産業の実況や商品を紹介、故意に'Made in Japan'の文字を挿入。アメリカ人には全く宣伝以外のなにものでもないことが判ってしまうわけで、「アメリカ人には全く興味のない」作り方
→「宣伝ニ非ズシテ、終局ニ於テハ宣伝約(ママ、的)結果ヲ齎スベキ」
「ユーモア」と「ギャグ」を添加して、大衆の興味にアッピールする必要
3 従来の対アメリカ人向け宣伝
「日本のアジア大陸に於ける政策を説明する四千語の論文」「米国の大衆は其を読まない」
それまでの米国における日本の宣伝は、すべて知識階級に照準を定めて行われ、「インテリゲンチァの言葉」で語られてきた
4 「米国――及び日本の宣伝事業」昭和十二年十月二十日
アメリカの「世論を指導する」ものは大衆つまり「野次馬連」であって知識階級ではない
「野次馬連」:アメリカの民衆の感情は「自由の国」米国を支配する暴君
「排日法」が議会に提出された時、米国の知識層は8割迄は猛烈に反対
「野次馬連」である大衆にとって「インテリゲンチァの言葉」は外国語に等しい
→内閣情報部は、アメリカの世論政治を「諒解していなかった事が恐らくは日本が宣伝の仕事で米国を自分のものにする事が出来なかった主要な理由」
5 アメリカの対日感情が悪化の原因
・「支那事変の際に、多数の日本の写真が、英国及び支那の反日宣伝に使用された」ため
・「満州事変」の際にも、多数の日本の写真が「英国及び支那の反日宣伝に使用」された
・イギリスや中国は、朝日、毎日、電報通信がアメリカに送った写真を購入し、その写真に附する説明を変更して、日本攻撃の宣伝に使用した
・多数の写真が満鉄のニューヨーク事務所から借り出され、アメリカの最も大衆的な雑誌『サタデー ・イーブニング・ポスト』に、「最も有害な反日記事を付けて掲載」された
・中国の宣伝者が反日効果を挙げた写真の一つは、「日露戦争当時に撮影された古写真で」「多数の朝鮮人スパイが日本軍の射撃班に銃殺される場面であったが、支那人は此の写真の説明を変え」「満州に在る多数の支那人農民が憫れにも、制服の日本兵に虐殺されていると称した」
・「支那事変」においても、「支那の宣伝者は再び此の古い詭計を用ひ、木に吊り下げられた支那人を制服を着た日本兵が銃剣で刺して居ると言ふ偽造の写真を以て、AP上海特派員を欺つた」写真は、APの株主たる約二千の新聞紙を通して発表され、アメリカ人は憤激した
6 写真―「宣伝事業における価値」昭和十二年十月二十日
「一枚の写真は、千語の言葉より誰弁(雄弁)である」
・米国の大衆の大多数も、写真になら興味を引かれる。大衆相手の唯一の宣伝媒体は写真である
・「写真報道」は「目下米国で大流行を極めて居る」し、雑誌『ライフ』は写真以外には何にも掲載されてないが、二ヶ月で百万部の発行部数をあげている
→『ライフ』1936年11月23日創刊(週刊)、第1号の発行部数は38万部、第2号は41万部、第3号は46万部、第8号76万部
→『ルック』1937年1月創刊(月刊、後に隔週刊)、第一号は83万5千部、第2号は100万部突破、18号目に200万部
7 1930年代の日本のフォト・ジャーナリズム―ニュースと写真
8 「写真報道事業」昭和十二年十月二十日
・四千万以上のアメリカ人を対象
5千枚の複製の日本宣伝写真を提供する事業を展開する計画
→四千万という数字は、「写真報道」を使用するアメリカの出版物の平均発行部数が四千万部であるということを根拠に計算したもの
9 「情報写真協会設立案」昭和十二年十月二十日
「写真報道事業」が論議された同日の1937年年10月20日、内閣情報部では「官庁及民間団体ニ於テ撮影、供給スル記録及情報写真ニ寄ル対内外情報宣伝実施ノ官民合同ノ中枢機関」という目的で、「写真宣伝ニ関スル政府ノ代行機関」として「情報写真協会設置案」が年間の予算四万五千円で考慮された
10 『写真週報』の発行
・「情報写真協会設立案」に対する各官庁間の事情および設立案を具体化する手段として、『写真週報』の刊行を計画 →1938年2月創刊
・『写真週報』の刊行は、対外宣伝用の写真募集という「カクレタ任務」を遂行するために、「写真週報ノ名義にて」、「各種対外宣伝写真ノ募集」および「撮影ヲ行ハシメ官庁ノ材料ヲ募集シテイルコトヲ少シデモ『カモフラージュ』シテ」、より効果的に集めようとした方策
11 財団法人写真協会の設立
・ある程度『写真週報』の内容が充実になるに従って、一九三八年七月二一日、対内外写真宣伝の官庁代行機関として、「写真協会」が設立された。翌三九年四月には、「各方面の寄付金」つまり陸・海・外・商工・鉄道の五省より寄付を得て、基本金5万円の「財団法人写真協会」として法人体制が整ったのである
・八月には国庫からの補助金によって、ベルリン支局開設
ドイツにおいては毎週必ず、出版物に日本から送付された宣伝写真が掲載されるようになった
12 対外写真事業の方針
・写真購入:同盟通信社、朝日新聞社、毎日新聞社などから毎月千枚以上の写真を購入計画
・販売:独占契約方式を採用
アメリカにおいては、独占的な権利を与えるという特別な契約の下で、「米国の新聞紙及び雑誌に」、内閣情報部が自ら「作った説明の標目の使用を強制し」、写真のタイトルや説明の変更不可を守らせるため
・独占契約が絶対に必要である理由→写真のすり替え論
・アメリカの出版物に対する写真の売却方針
極東問題に題材を取り機宜を得た各種の写真報道を毎週十編以上作る
同種の写真を五千枚ずつ複製、毎週アメリカの五十種の出版物の発行元に送ること
報道写真の普通の市価より低廉な価格で販売、沢山売れることを狙った措置
「営利事業ではあらず」、売価の六割が手数料に支払
・新聞社や同盟に、売った写真の数に応じて、総益の三分の二を分配する協定を結ぶ
13 対外写真分布の方針
・写真協会から発送された写真は、海外に渡ってさらに多数が複製されることを狙った。同協会は、各国の大通信社写真部または写真組織との連絡を図り、一枚でも多く写真を売って利益を上げようとする多数の個人経営の写真通信社とも契約を行った
・アメリカでは世界の四大写真通信社の一つといわれるニューヨーク・タイムズ・ワイド・ワールド写真通信社、国際写真通信社であるAP写真部と契約していたが、これらの写真部からは「紙型(マット)通信」となって、その写真の掲載紙は二百ほどに達した。
・写真協会としては、掲載率の少ない著名な一流雑誌への独占的な供給よりも、海外においては「可及的に複写写真叉は紙型通信となり得るよう、大写真通信社を契約社の中心目標」としていた
14 指導・助成
・内閣情報部の宣伝班、内閣情報局第五部第一課(一般宣伝)、写真宣伝および写真協会の指導助成が行われた
・指導助成は「国家写真宣伝の確立」という名目の下
「写真協会」へ助成金は一九四一年の基準で十万余円が国庫から支払われた
・対外政策の担当部署は情報局の第三部であったので、対外に発送する宣伝写真の検閲は、 第三部(対外宣伝)と第五部(文化)の両部署で行った
・写真報道の作成については、毎週一回テーマ会議を開催し、テーマによっては契約写真家に依頼することもあり、写真班員が撮影することもあった
・撮影や複製には、契約によって民間の報道写真家や工房を
→国家宣伝に動員するための訓練を行う機会としても利用した
・写真の原稿には、現地の軍部報道部、満州国通信社、台湾情報部、満鉄やその他から送られる写真も取り入れた
・隔日に「一テーマ」づつ選定し、各写真に英文で解説文および説明を附し、検閲を経て、数百枚の「分布印刷」を作り、発送した
・輸出した量は、年間で約百五十テーマ、三万枚に達した
15 一九三八年写真協会における
・対外宣伝写真発送枚数は、二万四十六枚、売上金六百四十七円九銭
国内分布は千七百十四枚、売上金二千九百七十八円七十五銭、当初の予定額の六倍弱
→「官庁各方面ノ熱心ナ援助ニヨッテ」当局の予想より、写真はうまく売れた
・外務省を通じて在外大公使館に備えた写真は、四千九百二十枚に達す
・ 情報局では、三八年以来四一年四月までの三年の間、海外諸国で日本の「写真報道」が新聞雑誌に掲載された実績を計算し、掲載広告料金に換算すると、数百万円を超える分量と推算した
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