戦後の占領初期に連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)初代局長を務めたK・R・ダイク(1897〜1980年)は、日本の民主化政策を強力に進めた中心人物として知られる。しかし、ダイクの在任期間は1945年9月から翌46年5月までと短く、辞任後は米本国に帰国し、NBC副社長に就任した。後任にはダイクとは対照的にに保守的なニュージェントが就いた。こうしたことから、マッカーサーの不興を買ったための真実上の解任という説が根強いなど、ダイク辞任の理由は占領期の歴史上の謎の一つとなっていた。
その真相について、1日に東京都内で開けられた「20世紀メディア研究会」(代表、山本武利・早稲田大学教授)で谷川建司・埼玉大講師(米映画史)が、米国立公文書館で発見した新資料に基づき報告した。ダイクは46年2〜4月に休暇を取って帰国していたが、この間の動静が、公開された米国務省、陸軍省の資料からわかったという。
例えば、休暇を終えて日本に戻ったダイクからベントン国務次官補へあてた4月23日付の手紙には、あと半年か1年、CIE局長の座にとどまることはできるが、6月半ばには日本を後にするつもりでその旨をマッカーサーにも既に伝えた。後継者としてニュージェントを推薦するつもりだが、マッカーサーに自分の勧告が認められるかどうかは自信がない――などの記述があったという。
谷川講師によると、中佐という低い階級にあったニュージェントをダイクが後任に指名したのは異例の人事であり、彼自身も自信がないと述べていたにもかかわらず、結果としてこれが受け入れられたことから、ダイクに対するマッカーサーの信任は最後まで厚かったことなどが、これによって確認できる。したがって、マッカーサーの不興を買ったことによる解任という説は誤りであることがはっきりしたという。
いうまでもないが、日本にとって敗戦――占領という体験は重く、政治や経済、社会のさまざまな課題がこの時期に端を発すると論じられることも今なお多い。占領終結から既には世紀を経た現在、とかく遅れが指摘される日本側の資料公開も含めて、この時期の研究の進展に注目していきたい。
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