山本武利
新興勢力と共栄図った歴史 長所生かしデジタル時代に適応を
フジテレビジョンがニッポン放送株を取得する公開買い付け(TOB)実施を発表したのは今年の1月17日である。その1ヵ月後、電通は2004年の日本の総広告費を発表し、インターネット広告がラジオを抜いて、テレビ、新聞、雑誌に次ぐ第4の広告メディアになったことを伝えた。各家庭へのパソコンやブロードバンドの普及がバナー広告中心のネット広告を8年で113倍に急伸させた。ラジオ業界の優良会社の同放送の先行きも暗いとの予想が強まり、TOBは難なく成功すると見られた。
ところがその後三ヶ月間かまびすしい同放送買収狂騒劇が演じられた。ネット広告を吸収して勢いのある新種の動物が既得権に安住し、惰眠中のマンモスをも脅かす存在になっていることを世に見せつけた。当初、堀江貴文氏はフジも産経新聞もネットが食いつぶす旨の発言をして顰蹙を買った。しかし買収合戦の中で、フジサンケイグループのなかでのサンケイが話題となることはなかった。産経新聞は社説で反論したが、逆転和解後、利益に結びつかない「正論路線」の言論活動をしている新聞が株式会社であることはおかしいとのホリエモンの言いたい放題の主張に大きく紙面を割いている。
広告収入の多寡が日本のメディアの経営を大きく左右するようになったのは、高度成長期からである。1975年にテレビが新聞を抜いて広告費で第1位となった。その後の三十年間で両者の差はひらくばかりで、昨年の新聞広告費はテレビの約半分となった。昭和初期、ラジオ欄を新設して新興メディアとの共栄を図った新聞は、高度成長期にメディア界の王者となったテレビの番組欄を拡充させることによって生き残りをかけた。テレビ欄が最高の閲覧率=販売、広告収入を稼ぐ場となった。新聞は“日刊テレビガイド”としてなんとか経営を維持してきたともいえる。サンケイフジグループと言われていたものが、いつしかフジサンケイグループとなった。
テレビのワイドショーや週刊誌をあれほど騒がせたホリエモンが話題にならなくなったのはなぜか。ネットや金融の議論では、彼はヤンチャなベンチャー成功者のカリスマ性を漂わせ、実績に裏付けられた説得力を見せた。だがメディア論では彼からこれといった魅力ある主張がついぞ聞かれなかった。世論は単純なデジタル人間のホリエモンにないものねだりをしていた。
ニッポン放送やフジへの買収工作の目的が、金儲けの売り抜けに過ぎなかったと見た大衆は彼にそっぽをむいた。大衆は視聴率稼ぎに狂奔するフジの“軽チャー”路線を享受しながらも、それに食傷していた。彼らが彼に賭けた21世紀初頭のメディア革新の夢はいまや潰えてしまった感がする。
学生のゼミ報告の大部分が本ではなく、ネット情報に依拠している。私自身も200万件に及ぶ占領期雑誌目次データベースを作成し、ネットで公開し、その威力を知るようになった。ネットにあふれ、瞬時に検索、入手できる最新のデータがネット時代の到来を告げていることがわかる。しかしネットだけではろくな論文はできない。最近の卒論の秀作は本とネットの情報を有機的に組み合わせたものである。
ネットは誰もが参加できる双方向のメディアである。しかし私の周辺にもネットで中傷を受けて傷ついた人がいる。怪しげな情報や無責任な主張が氾濫している。中国ではインターネットの言論を監視し、取り締まるサイバー・ポリスが3万人もいると言われる。たからネットによる言論の場の拡大という議論は幻想に基づいているのかもしれない。
新聞は斜陽の見えてきたテレビの“番組ガイド”に頼るだけでは先行きは暗い。やはり21世紀のメディアの有力な担い手はネットだ。したがって新聞はプロパイダーと資本提携するだけではなく、多種多様、玉石混交の情報を取捨選択し、ホームページやブログの議論を客観的に紹介する“総合ネットガイド”の新紙面を造るべきだと思う。
アメリカの有力紙のデジタル新規事業はさしたる利益があがっていないという。日米を問わず、アナログ型の現役新聞幹部にはデジタルのなんたるかの理解が足りなかろう。現在、アナログ・メディアの独壇場である「公共性」やジャーナリズム性の長所を生かしながら、それをデジタル時代に転換させる方向性にこそ21世紀の新聞の生きる道があるようだ。アナログ、デジタル双方の構造や機能を熟知する若手新聞人なら新しい分野を切り拓ける主役たりえよう。だが彼らにはメディア界での最高の知性と見識が要請される。
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