■■【2004年】■■
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● 講演会+シンポジウムのご案内 ●
「PHPと松下政経塾――松下幸之助の戦後ビジョンと実践」
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定例の20世紀メディア研究会は12月、1月、2月を休会といたします。
代わりに、1月21日に松下幸之助関係の講演会とシンポジウムを開くことになりました。
占領期雑誌記事データベースで51本の松下執筆論文、記事が見つかり、
しかもその中に多くの新資料であることを記念するためです。
PHP研究所で松下に親交のあった方や、
松下政経塾出身者で各界第一線にご活躍の方が登場します。
さらに研究者による研究発表もあります。
会場は5月の中曽根講演会の大隈講堂に比べ400名余収容と手狭ですが、
最新の設備を誇ります。
20世紀メディア関係者の皆様には特別席を50席用意しています。
ご希望の方はメールかはがきで当方へ早めにお申し出ください。
当方から断りの無い限り席は確保されたことになりますので、
当日午前10時までに会場においで願います。
△詳しい内容はこちらへ |
GHQの迷走が問題をうやむやにした 「責任は結局、問われなかった」 山本武利 |
山本武利が『中央公論』(2005年1月号)に
論文「GHQの迷走が問題をうやむやにした 責任は結局、問われなかった 」
を発表しました。
△論文の全文はこちらへ |
「
使える! プランゲ文庫資料について」−−川崎賢子 |
文学研究者・川崎賢子が『日本近代文学館』202号に
論文「使える! プランゲ文庫資料について」を発表しました。
△詳しい内容はこちらへ
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『朝日新聞の中国侵略』ーー山本武利 |
山本武利が『諸君!』に論文「朝日新聞の中国侵略」を発表しました。
△朝日がヒタ隠す、大陸での戦争責任。
△中国政府にも中国人民にも日本人にも知られたくない朝日新聞社の「歴史の汚点」。
△「媚中」の原罪はここにあるのか?
△詳しい内容はこちらへ
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佐藤卓巳『言論統制』書評ーー山本武利 |
著者によると、情報官鈴木庫三=言論弾圧の悪代官を決定付けたのは、石川達三の『風にそよぐ葦』であった。この小説は1949年に『毎日新聞』に連載され、後に映画、文庫になった。いずれも好評だったため、そこに佐々木少佐として登場している人物の実名がさまざまな文献に現れ出した。中央公論社の畑中繁雄、黒田秀俊、文藝春秋社の池島信平、日本評論社の美作太郎、誠文堂新光社の小川菊松などの著書は戦時下の言論弾圧の体験記として著名なものであるが、いずれも実名で彼のイメージを増幅した。
著者は目配りのきいた資料収集の過程で、従来の鈴木イメージとは違う彼の著作に遭遇していた。そして苦労して彼の遺族を突き止め、遺族から当時の日記を入手した。そこには彼が検閲、統制の活動をした時代の1938年から1940年の毎日の几帳面な記録が含まれていた。その日記と彼の著作から、従来の鈴木文献の誤りを指摘する。
石川自身が「昭和十八年ごろ」を描いているというが、当時鈴木は情報局から転出し、満州国ハイラルの連隊長になっていた。作品にある「君のような雑誌社は片っぱしからぶっ潰すぞ」といった発言は、作家の忘却か、嘘の表現であるという。戦後、公職追放となった鈴木は熊本の阿蘇山麓で農業をしていたが、連載終了の直前、「佐々木少佐の名で出ているが大分歪められ事実と異る」と日記に不満をぶつけるだけで、作者に抗議の声をあげることができなかった。
生活綴方運動によって治安維持法で検挙された国分一太郎は、「一九四三年に鈴木中佐から殴打された」といっているが、それは『風にそよぐ葦』の虚構を事実と信用してしまった悪質な歴史の捏造の事例であるという。
彼らは言論統制の被害者を名乗るために、あるいは自己の権力への追従を忘却するために悪代官を創作する必要があったとされる。
評者は鈴木とインボデン中佐とを重ねたくなった。占領期にメディア統制の実権を握っていた彼は、独立後の文献では悪評ばかりである。果たして実像はそうか?
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(『日経新聞』 2004/9/26)
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「満州における日本のラジオ戦略」の英語版ーー山本武利 |
『Intelligence』誌第4号掲載の山本武利「満州における日本のラジオ戦略」の英訳ができました。今後、同誌の英訳を順次行いたいと思っています。
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『米国のメディアと戦時検閲』書評ーー山本武利 |
米国は言論の自由に国家存立の最高の価値をおいている国家である。それを持たない国家を軽蔑し、必要とあれば軍隊を使ってまで他国に強制しようとする。その米国が第二次大戦で勝利のためにメディアに検閲を加えていたことを知っている者は少ない。
ルーズベルト大統領は全国メディアの組合通信社であるAPの編集主幹のバイロン・プライスを検閲局長に抜擢した。著者は彼の足跡を丹念に追って、米国が検閲をかなり大規模かつメディアの抵抗の少ない方法で行ってきたことを明らかにしている。
検閲規定には罰則がなく、違反者名を公表するだけであった。各メディアはその規則を見ながら「自主検閲」し、疑問や不安があるときは検閲局に問い合わせた。また検閲局自身で特定のニュースが検閲規定に引っかかると事前に判断すれば、各社にそれを報道しないよう要請していた。
米国といえども戦争初期はドイツや日本の攻撃にピリピリしていた。ヤンキース対レッドソックスの中継が嵐で延期されたことがラジオで伝えられると、敵のスパイが近海の潜水艦に知らせるかもしれないと心配。ラジオの天気ニュースに最大限の注意が払われた。
ミッドウェー海戦でアメリカが日本艦隊の作戦暗号を解読したことを『シカゴ・トリビューン』記者がスクープした。大統領はスパイ防止法違反で同紙と記者を厳罰にしようとしたが、結局不起訴となった。もちろん検閲局が他紙での報道を禁止した。日本海軍はそのスクープに気づかず、その暗号を使い続けた。そのため山本五十六長官の搭乗機は暗号解読で撃墜された。
戦争末期、オレゴンで日本製風船爆弾の爆発によって6人の死者が出た。これは米本土で敵から受けた唯一の死亡被害である。これを検閲局は一時報道禁止にしたが、風船爆弾のデマがクチコミで全国的に広がったため、限定付の公表となった。その際、日本側にその爆弾の威力や米大衆の不安心理を知られないための周到な配慮がなされた。
有事関連法案では、メディアの報道規制や検閲が検討されているという。プライス局長の苦心や知恵を本書から日本も学ぶべきだろう。
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『日経新聞』 2004/6/20)
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早稲田ウィークリーが山本武利先生をインタビュー |
早稲田ウィークリーに話題のGHQ占領期の雑誌目次データベースが紹介されました。
■詳しい内容はこちらへ>>>
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大江健三郎作品、新発見 |
「プランゲ文庫」公開 「戦後」読み直す手掛かり
「プランゲ文庫」をご存知だろうか。終戦から一九四九年までに日本で出版された本、雑誌、新聞など、GHQ(連合国軍総司令部)が検閲のために集めた膨大な資料だ。米・メリーランド大学に所蔵され、国会図書館のマイクロフィルムでも閲覧できる。
「文庫」に含まれる雑誌については、山本武利・早稲田大学教授が中心となって四年前からデータベース化を進め、「占領期雑誌記事情報データベース」(http://www.prangedb.jp)としてネット上で公開している。これを使った研究成果の発表会が先ごろ同大学で開かれた。
宗像和重・早大教授が着目したのは、高松市で四八年八月に発行された短歌雑誌「歌像」。「孤影」と題する太宰治の短い文章が載っている。これは、同年三月刊の雑誌「日本小説」に発表された「美男子と煙草」の一部。同じ年の六月、太宰は世を去っている。
さらにこの雑誌の別の号を調べた宗像教授は、「太宰治の小説」という短文をつづり、「私の好きな作家」アンケートに太宰への傾倒ぶりを回答している一人の歌人に行き当たった。「孤影」掲載と歌人とのかかわりは判然としないが、ここには確かに、熱烈な愛読者が存在したことが分かる。
太宰が戦後、流行作家になったことは知られるところだが、「どのように読まれていたか、同時代の読者の側のことはよく分からなかったと思う」と宗像教授。目が届きにくい地方都市の短歌雑誌を検索で割り出し、そこからリアルタイムの読者像の一端が見えてきたということになる。
川崎賢子・同大学現代政治経済研究所特別研究員は、作家たちの戦後の執筆状況を検索する中で、「疎開時に人脈ができて少部数の地元の雑誌に寄稿した場合、そのまま生まれてしまう作品がある」ことに気づいたという。
例えば横溝正史は疎開先の岡山で四八年四月、雑誌「輿論岡山」に「探偵小説の方向」というエッセ−を発表し、平塚らいてうは、同年十月「茨城随筆」に俳句を寄せている。
また、野間宏が農業関係の雑誌に載せた文章や、稲坦足穂が科学哲学誌に書いた小文のように、媒体が「文芸」の枠から外れているためか、全集に末収録のものも見られるという。
データベースの項目数は現在百四十万で、完成すれば二百万件に達する。文学作品に限らず、占領下の検閲が残した膨大な資料の山へ分け入ることは、「戦後史」を読み直す上で、有力な手掛かりを与えてくれるはずだ。
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【山内則史】 (『読売新聞』 2004/5/21夕刊)
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三島の小説も検閲の対象に 「プランゲ文庫」研究進む
占領期に連合国軍総司令部(GHQ)の検閲対象になった国内出版物のコレクション「プランゲ文庫」の研究が進んでいる。このほど同文庫の雑誌記事情報のデータベース化に取り組んでいる研究者グループが開いた研究会では、三島由紀夫の小説が一時、検閲の対象になっていたことが明らかになるなど、興味深い成果が報告された。
三島の小説は、雑誌『文芸』の1948年6月号に掲載された「宝石売買」。没落貴族の娘が親の宝石を売る話で、太宰治の『斜陽』にも通じるテーマだ。宗像和重・早稲田大教授(日本近代文学)の報告によると、同文庫に保管されていた雑誌の表紙には「不承認」と記され、作中の「……手紙が、進駐軍の検閲の印を押されて、ここ牧原家の郵便函に見出された。小包よりよほど先に出したのが、検閲のため、おくれて後から着いた」という部分を該当個所として指示したメモもあった。
宗像教授は「国内で販売・流通した雑誌では、この部分が削除や訂正を施された形跡はなく、全集などにもこうした経緯は記録されていない。なぜ指示を受けながら、そのまま発表されたのかは分からない」と話す。
プランゲ文庫は45〜49年にGHQに提出された新聞、雑誌、図書などを集めたもので、米メリーランド州立大が所蔵している。マイクロフィルム化され、国立国会図書館などで公開されているが、膨大なためデータベース化の必要がある。記事約200万件の雑誌については00年から山本武利・早稲田大教授らのグループが取り組み、今年度中に完成予定だ。
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【大井浩一】 (『毎日新聞』 2004/5/25夕刊)
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GHQ収集・プランゲ文庫 大江健三郎氏の詩も
連合国軍総司令部(GHQ)が、占領下日本の全出版物を検閲するため収集した「プランゲ文庫」で大江健三郎ら有名作家の初期の文章が見つかり、研究発表会が十三日、早稲田大で開かれる。
プランゲ文庫には一九四五年から四九まで雑誌だけでも約二百万件の文章が収められ、学校新聞の子供の作文から有名作家の寄稿まで筆者名などを基にデータベースで検索できる。
広島県の教育用冊子には大江氏の中学三年時代の投稿詩が掲載されていた。また宗教専門誌に載った司馬遼太郎氏の新聞記者時代のエッセイなど、有名人のほとんど知られていない文章が続々と見つかっている。
実物は、米国メリーランド大学が所蔵しており、日本では国立国会図書館で雑誌と新聞のマイクロフィルムを閲覧できる。山本武利早稲田大学教授(メディア史)らの研究グループが、二〇〇〇年から雑誌のデータベース化に着手。約七割の作業終わり「占領期雑誌記事情報データベース」と題したホームページで無料公開している。
研究グループは「プランゲ文庫を通して作家の初期特色や、占領下でさまざまな人がつづった社会状況を理解することができる」としている。
一九九五年からプランゲ文庫の児童書の整理、目録づくりに携わっている。北星学園大文学部の谷暎子教授は「所蔵作品の目録づくりやデータベース化が進められてはいるが、作品や検閲の内容の研究はまだ途上で、今後、さらに新たな発見がある可能性がある」と話している。
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(『北海道新聞』 2004/5/12夕刊)
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GHQ(連合国軍総司令部)が、占領下日本の全出版物を検閲
するため収集した「プランゲ文庫」で大江健三郎氏ら有名作家
の初期の文章が見つかり、研究発表会が十三日、早稲田大で開
かれる。
プランゲ文庫には一九四五年から四九年まで雑誌だけでも約
二百万件の文章が収められ、学校新聞の子供の作文から有名作
家の寄稿まで筆者名などを基にデータベースで検索できる。
広島県内の教育用冊子には大江氏の中学三年生時代の投稿詩
が掲載されていた。また宗教専門紙に載った司馬遼太郎氏の新
聞記者時代のエッセーなど、有名人のほとんど知られていない
文章が続々と見つかっている。山本武利早稲田大教授(メディ
ア史)らの研究グループが二〇〇〇年から雑誌のデータベース
化に着手。現在、約七割の作業が終わり「占領期雑誌記事情報
データベース」と題したホームページで無料公開している。
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(『日本経済新聞』 2004/5/12夕刊)
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Collection a glimpse of occupied Japan
Waseda University researchers will hold a seminar Thursday to release studies on Japanese publications collected for review by American military censors in postwar occupied Japan.
The Prange Collection consists of thousands of newspapers, magazines and books that have been found to include some of the early works of famous Japanese writers, including Kenzaburo Oe.
The Institute for Research in Contemporary Political Affairs, along with the Institute of 20th Century Media, will hold the seminar at Waseda University. Former Prime Minister Yasuhiro Nakasone will attend, researchers said.
Included in the Prange Collection of Japanese newspapers, magazines, books and pamphlets published from 1945 to 1949 are works by famous writers, including an essay in a religious magazine written by novelist Ryotaro Shiba when he was a newspaper reporter.
A poem about a river written by Oe, winner of the 1994 Nobel Prize in literature, when he was in junior high school has also been found in an educational pamphlet, although Oe said this week he discredits the work because his teacher forced him to write it and then changed it.
The Prange Collection is kept at the library of the University of Maryland.
Microfilm of the newspaper and magazine collections can be viewed in Japan at the National Diet Library.
Taketoshi Yamamoto, a professor of media history at Waseda, began compiling the magazine collection on a database in 2000, and around 70 percent of it has been covered so far. The material can be viewed on the Internet at www.prangedb.jp
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The Japan Times: May 13, 2004
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山本武利、北京広播学院博士指導教授就任 |
2004年3月北京広播学院劉院長から20世紀メディア研究所代表の山本武
利に
同大学の博士課程の指導教授の任命書が届きました。同大学は中国最初の広告学
部の
新設などで急成長している中国マスコミ、メディア研究のメッカです。年数回、
都合
の良いときに北京へ博士課程院生のために講義に行けばよいとのことなので、早
稲田
大学との兼任が可能と判断し、お引き受けすることになりました。これを契機に
研究
所と同大学ならびに中国研究者とのつながりが強まればと願っています。
なお山本は4月から一橋大学名誉教授となりました。
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『毎日新聞』に占領期雑誌目次情報データベース紹介 |
『毎日新聞』2004年2月20日付夕刊のコラム「憂楽帳」に内山勢記者が「空白」というタイトルでプランゲ文庫データベースのネット検索の意義を読者に呼びかけています。その全文を転載します。
空白
プランゲ文庫。元GHQ(連合軍総司令部)参謀第二部戦史室長の故ゴードン・プランゲ博士は、占領期の1945年から49年にかけて、日本の出版物の検閲を担当した。「DELETED(削除)」などの印が押された生々しい検閲対象出版物は、彼がその母校の米メリーランド大学図書館に移管。現在は日本でも国立国会図書館でマイクロ化され見ることができるが、日本国内に現存しないものも数多く含まれ、推定全ページ数610万の膨大なものだ。
これを簡便に検索できるようにしように、早稲田大学の山本武利教授たちのプロジェクト委員会がデータベース化に取り組み、02年11月から随時インターネットでのキーワード検索を可能にした。その研究発表会が月1回のペースで早大で行われている。これまで武者小路実篤、壷井栄らの新資料が見つかっている。
この貴重な研究を専門家だけに任せるのはもったいない。次にネット検索で埋もれた資料を発見するのはあなたかもしれない。「空白」を埋めるのが「検閲」というのは皮肉だが。
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【内山勢】(『毎日新聞』2004/2/30夕刊)
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なお、前日もお知らせしましたが、3月6日午後2時半から第15回研究会を早稲田大学現代政治経済研究所会議室(1号館2階)で開きます。
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山本武利ゼミ、雑誌に紹介 |
『編集会議』2004年3月号の「大学ゼミナール訪問」(連載第3回)の冒
頭に、「多くの企業家、知識人を輩出してきた日本の私学の雄、早稲田大学。難関を
くぐり抜けてきた優秀な生徒を、さらにどう伸ばすか。「自分で探す」を徹底的に実
践させる、山本武利教授のゼミを訪ねた」と記してあります。
また3ページにわたる本文記事のなかに、『インテリジェンス』が、第3号の
表紙写真とともに、「内外の研究者が寄稿するインテリジェンスに関する専門誌だ」
と紹介されています。
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新年のご挨拶−−−山本武利 |
20世紀メディア研究所は3年目を迎えました。その間に月例研究会は15回
(内1回は昨年11月の国際シンポジウム)開催し、分科会として占領期雑誌研究会
を12回開きました。また雑誌『Intelligence』は3号まで刊行できま
した。これは日頃、私どもの活動をご理解、ご支援いただいている皆様のおかげと
深く感謝申し上げます。
さて今年も従来の方針に沿って、着実に進みたいと思っています。以下は漠然
とした予定を申し上げます。
1、研究会はできれば年10回くらい開きたい。
2、分科会の占領期雑誌研究会はかなり蓄積ができたので、順次成果を本研究会
で発表する。
3、新たな分科会として雑誌『宣撫月報』研究会(仮称)を4月から発足させる
。なお2つの分科会は有志者のみの非公開研究会とする。
4、『Intelligence』の年2回刊行を定着させる。雑誌の購読料と
広告料が本研究所の支えなので、部数増加と固定読者(定期購読者)増加に努力する
。
5、占領期雑誌データベースの入力状況や新発見の情報をこのホームページから
も「newsletter]として随時流す。
6、本研究会は会員制を取っていないが、希望があれば皆様の研究活動や研究成
果(出版、雑誌論文)などもホームページに掲載する。
このような考えに対する皆様のご意見を研究所アドレスにお送りいただければ
幸いです。
なお次回の研究会は3月6日(2月の研究会が入試のため中止)に開催します。
その案内は後日お知らせいたします。
今年もよろしくお願い申し上げます。
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