山本研究室
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 新書:『ブラック・プロパガンダ――謀略のラジオ』2002年5月28日発売!

  昭和19年6月サイパンが陥落すると、米軍は翌年4月から日本全土に向けて、日本国内の反軍勢力を装った謀略放送を開始した。日系人が担ったこの放送は終戦の2日前まで計110日間に及んだ。アメリカの情報公開法により扉が開かれた一次資料を駆使して、思想戦・宣伝戦といわれる第2次世界大戦の影の部分に今初めて光が当てられる。





 内容を見る!

『ブラック・プロパガンダ――謀略のラジオ』は大好評で増刷になりました。

書評――石崎 徹 (専修大学経営学部助教授)
 
 オーディエンスがソース(情報の山所)を確認でき、メッセージも正確性、真実性が比較的高いものをホワイト・プロパガンダというのに対して、本書の題名であるブラック・プロパガンダとは、非公然のソースから出た作りごと、にせのメッセージを敵個のオーディェンスに伝える活動のことである。
 本書は、CIA(Central Intelligence Agency:アメリカ中央諜報局)がアメリカ国立公文書館で公開してきたOSS(Office of Strategic Service:戦略諜報局)の資料を丹念に収集、駆使して、第二次世界大戦期におけるアメリカの対日謀略のブラック・プロパガンダ、特にブラック・ラジオ活動の足跡を明らかにしようとしたものである。
 本書の内容は次のとおりである。「はじめに」では、一九四五年四月二十三日早朝に放送された、第一回のブラック・ラジオの日本語原稿全文と使用音楽一覧が掲載されている。アメリカ国立公文書館には、放送原稿の英文への翻訳原稿百二十四回分の全文が残っているが、日本語原稿で残っているのはこの第一回分のみであり、貴重な資料の公開となっている。「第1章 ブラック・プロパガンダとは何か」では、戦争におけるプロパガンダの展開経緯として、ナチス・ドイツ軍およびイギリスのプロパガンダ機関を踏まえて、アメリカのプロパガンダ機関、プロパガンダ作戦の分類、ブラック・プロパガンダのメディアとしてのラジオの概要を示している。「第2章 日本に刺激されたアメリカのブラック・ラジオ」では、アメリカに先立ち、日本軍がブラック・ラジオを開局し、中国やビルマでいち早く実行に移し、成功していること、そしてアメリカ側がこのことに震憾して日本人や日本軍に対するブラック・プロパガンダの必要性を痛感し、ブラック・ラジオ局設置計画へと至る経緯が詳しく述べられている。「第3章 ブラック・ラジオの制作と日系人」では、日系人や日本人捕虜が対日ブラック・ブロパガンダ・ブロジエクトに関与していた事実を実名で、しかもそれぞれの役割や突際のプロパガンダの事例をもって示している。「第4章 サイパン・ブラック・ラジオ」では、サイパン陥落後のブラック・ラジオ局の設置とその活動内容が記述されている。「第5章 中国戦線のブラック・ラジオ」では、中国でのブラック・ラジオの活動内容と、特に野坂参三氏の関わりが、かなり詳細に明らかにされている。「第6章 日本人のアメリカラジオ聴取」では、日本当局のラジオ聴取妨害策とともに、アメリカラジオの聴取状況の統計が載っている。それによると、一般国民への効果は薄かったものの、軍や政府の支配層はこうした放送に直接的、間接的に接触し、戦況をかなり正確に把握しており、アメリカラジオが日本の政策や軍の方針の決定に作用して上層部の分裂を加速させ、終戦を早める効果をもったと指摘することで、アメリカラジオの影響を認める立場をとっている。「第7章 戦争とブラック・ブロパガンダ研究の展開」では、ブロパガンダ研究という視点から、著名な研究者が軍事機関にどのように関わり、研究を進めていったのかが述べられている。
 本書の貢献は、第二次世界大戦期におけるアメリカの対日ブラック・ブロパガンダについて、系統的に、また詳細にまとめ上げたことである。これにより、わが国もとより世界的にも非常に貴重な歴史的事実を明らかにしたといえるだろう。膨大な資料に丹念にあたり、歴史的事実に即して偏りなく研究を行った著者に敬意を払うとともに、コミュニケーションの側から見た新たな戦史を知るということでも一読をお勧めしたい。
日経広告研究所報205号より


シロクロが断然としない情報をどう見分けるかーー佐藤健二
『論座』 2002.10

 一九四四年夏、サイパン島を圧さえたアメリカは、その十二月に「アメリカの声」という対日ラジオ放送を始めたのに続き、一九四五年四月には「民衆の声」を名乗る「新国民放送局」からの「謀略の中波ラジオ放送」を開始した。「プラック.ブロパガンダ」である。
 全百二十四回分のうち、日本語で残っている第一回の原稿によると、番組は「戦中の日本で放送禁止となった歌」などのレコード音楽を駆使し、「明日の日本」を論ずる「大石利夫」という人物の演説を中心に、くりかえし軍部の横暴と責任とを追及し、「如何にすれば、祖国の危機を救ひ、日本を更生せしめうるか」と問い、「真に国を愛する日本人の支持と援助」を訴えかけている。「妻からの便り」や前線兵士の「日記」、「従軍慰安婦」との会話などを素材にした、感情に訴えかける番組が続々と作られたという。
 CIAの前身、OSS(戦略諜報局)の資料がようやく公開されはじめたのは、一九八○年代後半。アメリカ国立公文書館に埋もれているこれらの資料を、山本は丹念にひもとき、いまだ取り組まれていない「太平洋戦線地区」のブラック・プロパガンダ研究の扉を開けた。組織編成を追うだけでなく、ハーパート.リットル少佐など中心的な役割を果たした個人をたどり、その活動を未開拓の地図と物語のうえに詳細に位置づけていく。とりわけ重要な役割を果たしたアメリカの日系の共産党員たちの、固有名詞をもった個人の歴史を重ねていくあたり、あまり適切な表現ではないかもしれないが、スパイ小説のように興味深く読ませる。
 中国戦線で展開していた、さまざかなフラツク・ラジオの作戦にも光をあてている。放送だけでなく、ポスターやビラといった印刷物を通じて、さらには偽造切手や、罹災民用の偽造鉄道パスなどの形でも、プラック.プロパガンダ活動が繰りひろげられたという。個人的に面白かったのが、偽造の書物である。実物が写真で紹介されているニセ『写真週報』など、もしこれ一冊だけが現在の古書店の平積みに混じっていたら、果たして見破れるかどうか。「慰問万葉豆文庫刊行会」を名乗り「斉藤茂吉選」を装った『支那事変歌集』という一冊など、実際に出版されている岩波書店の歌集から、厭戦を匂わせる短歌ばかりを拾い出して編んだもの。事実の断片を利用する流言製造の作法だが、どこかパロディの余裕すら感じさせる。
 「日本国氏の琴線に触れるようなプロパガンダ」をめざし、「死ぬな!生きのびよ!」を基調にして力をつくしたジョーコイデをはじめ、多くの人々が沈黙をもってしか語ろうとしなかった戦争下の裏面史を、ジャーナリズム史の研究者として、山本は資料に即して構成しなおし、淡々と語り直していく。いつもながらの精力的な資料踏査であり、ひとつの領域の研究法の基礎がここに据えられたといってよいだろう。
 しかしながら、なお一つ理論的な違和感が評者に残ったことも事実である。それはたとえば、「ホワイト・ブロパガンダ」と「ブラツク・ブロパガンダ」を終始明確に分け、対象となる情報活動がどちらに分類されるべきものなのかを、簡単に断定してしまう点に象徴的にあらわれている。おそらく、情報ソースが公然のものであるかどうか、伝達内容が事実か虚偽か、そして宣伝活動の意図が真実の流布にあるのか騒乱や分裂の画策にあるのかにおいて、ホワイトとブラツクとは定義上まったく異なるのだという立場に立っておられるのだろう。「本書においては、グレー・ブロパガンダという用語は使わない」との決断に、その信念を感じる。、しかしながら、仮に情報源と内容と意図からブロパガンダを定義できるとして、なおその三つは独立の変数である。順列組み合わせの形式論理から考えても、ホワイトとプラックだけの分類は窮屈で、価値判断が前に出すぎる。
 さらに視点をオーディエンス(視聴者)や読者の側に移した場合、白黒の定義は根本的な困難に遭遇する。出所の確かさを確認することができず、誤報か間違いか虚偽か、為にする操作か意外な真実なのかもわからない。そんな状態こそが、じつはごく普通の人々の日常なのではないか。検証の手段も身近には見あたらない。高名な新聞社だから、伝統あるテレビ局だから公然だし真実だ、とは割り切れない力学のなかで、じっさい現代の情報は生産され消費されている。一見回してみるとわれわれは「民族浄化」といういわぱブラック・コピーを生み落とした内戦の時代を、「オウム」や「九・一一のテロリズム以降のテレビとともに生きている。白とも思え黒とも疑える情報が、洪水のように居間でくつろぐわれわれを包み、まるでオセロゲームのように、次なる一手によって部分的に反転しあう。そうしたなかで、われわれはいかに「ブラック・プロパガンダ」の毒性を見分け、対処することができるのか。山本がこの書物の題名に採用した「ブラック」の発見は、すでに起こったできごとの歴史的診断であるという以上に、たぶん深く現代的な問いなのだと思う。



書評――塩崎智(歴史ジャーナリスト)

 第二次世界大戦中、サイパン島が米軍に占領されると、同島から本土空襲の米軍機のみならず、中波で「新国民放送局」の名のもとに、日本語ラジオ番組が百二十四回にわたり送り出されていたことは、あまり知られていない。
 米国CIAの全身OSS(戦略情報局)が総力を結集し、日本の反政府勢力が国内から発信しているように偽装した。約三十分間、日本の早期降伏を呼びかけるメッセージや、日本で放送禁止中の厭戦的、享楽的なナツメロが流された。
 本書(『ブラック・プロパガンダ――謀略のラジオ』)は八〇年代から徐々に公開されたOSSの資料を基に、番組の製作者や内容、制作課程などを、既存の資料と突き合わせて解明した意欲的な研究所だ。

 OSSがかき集めた日本語が堪能なメンバーには、日系人の米国共産党員もいれば「穏健右翼」や日本兵捕虜もいた。彼らがどんな思いでラジオ番組を作成していたのか、その心情をぜひ知りたくなった。

朝日新聞(2002年7月7日朝刊)より


書評――鎌田慧(ルポライター)
 

 米軍のアフガニスタン空爆のあと、戦争への歯止めが緩んでしまったように、「正義の戦争」というプロパガンダが復活している。政府による自国民に対する世論操作ばかりが、プロパガンダではない。敵国の大衆に向けた、ラジオ放送やビラの配布、亡命先から自国の民衆に向けた宣伝もある。  
 情報の出所が明確で、内容に真実性のある「ホワイト・プロパガンダ」の陰に、欺まんと謀略とをもっぱらにする、膨大な「ブラック・プロパガンダ」がある。本書では情報公開された米国の資料によって、日本国民向けの米国「ブラック・プロパガンダ」の実態があぶりだされている。  
 日本国民の士気を低下させる米国の放送としては、戦時情報局(OWI)が発信していた短波のアメリカの声(VOA)が知られている。それに対するのが、戦略諜報(ちょうほう)局(OSS)のブラック・プロパガンダだった。これは単なる宣伝ばかりではなく、内紛、混乱、分裂の煽動、拡大を目指すものだった。  
 戦後になって、OSSが中央情報局(CIA)に再編され、反共の諜報、謀略機関として日本でも活動したが、近年、中南米などでのクーデータ−にかかわっていたのは公然たる秘密である。アメリカ国立公文書館の資料を基にした、著者の綿密な分析によって、今まで闇の底に沈んでいた秘密集団の素顔が明らかになった。  
 苦心の謀略放送も日本本土では外国放送聴取の禁止令もあって、中国戦線などでのような影響を与えることはなかったようだが、反戦運動と愛国主義の関係について考えさせられる。  
 この本でスペースを割いて言及されているのが、日本共産党の野坂参三である。日本の戦争を早く終結させるために、米国在住の共産主義たちはOSSに協力していた。しかし、戦後になって一転、冷戦が始まり、CIAは共産主義者を弾圧する存在になる。  
 戦争と宣伝について考える貴重な一冊である。

上毛新聞(2002年6月24日朝刊)より


対日謀略放送に見るOSSの行動詳し
――吉田一彦(北星学園大学教授・情報論)

 本書(『ブラック・プロパガンダ――謀略のラジオ』)のタイトルになっているブラック・プロパガンダとは対敵情報活動の一環であり、最近の表現でいうところのディスインフォメーションである。真の発信源を巧みに隠蔽しつつ欺瞞的なメッセージを敵対国に送り込んで、心理作戦を有利に展開しようとするのがその目的である。
 一方、ホワイト・プロパガンダというのは情報の出所が確認でき、メッセージも比較的正確度が高いものである。第二次世界大戦中に行われた東京ローズの放送とか、冷戦期にアメリカが共産圏諸国に指向した「アメリカの声」などが有名である。
 本書はアメリカ公文書館所蔵の資料を綿密に調査して、これまであまり知られていなかった第二次大戦における日米の情報戦争の一端を明らかにしたもので、関心のある向きには興味津々の著作である。特にアメリカ中央情報局(CIA)の全身である戦略情報局が実施した対日謀略放送に重点が置かれているが、当初この分野で後れをとったアメリカがいかにして態勢整えていったかが詳細に語られる。
 彼らは日系人や日本軍捕虜などの協力を得て謀略番組を制作するのであるが、不自然なものにならないように細心の注意がはらわれた。クエゼリン島近海で発見された海軍中尉山岸四郎の「妻からの手紙」の朗読などは当時の日本人の心を直撃したであろう出来栄えであった。
 評者はある海軍軍人の回想録で「終戦直前のある日に鐘紡の株が上がって驚いた」という文書を読んで不思議に思った記憶があるが、その謎は本書を読んで氷解した。「新聞を注意深く読んでいるある友人がいうには、不利な外国ニュースが公表される直前には、株式市場が敏感に反応している。これはニュースの秘密ソースがあることを示している」とある。上層部には厳禁であるべきアメリカの対日放送を熱心に聞いている人間がいたのである。
東京新聞、中日新聞(2002年6月23日朝刊)より

 『紙芝居』の内容を公開!

 占領期雑誌目次データーベースの作成
    ―― プランゲ文庫の活用を目ざして

  連合国軍による日本占領の時代、とくに1945年から49年にかけて発行されたすべての出版物(書籍、雑誌、新聞、パンフレット)や手紙、葉書の通信物、さらには電話までが連合国軍総司令部(GHG/SCAP)によって厳しい検閲下におかれていたことは、一般にはあまり知られていない。どの出版物も民間検閲局(CCD)に出版の事前ないし事後に検閲を受けねばならなかったのだ。

検閲制度の終了とともに、CCDで保管されていたこれらの検閲済み出版物は、CCDに勤めていたゴードン・プランゲ博士の尽力で、米国のメリーランド大学に寄贈された。このコレクションはプランゲ文庫と名づけられ、同大学図書館に保存されている。

  プランゲ文庫の雑誌コレクションは、学術、文芸、風俗、教育など、あらゆる分野の市販の一般誌を網羅しているだけでなく、全国各地の青年団雑誌、労働機関紙、短歌、俳句の同人誌などの民衆メディアも収録している。所蔵タイトル数は1万3787。これらの雑誌の大半は日本国内には現存していないものだ。

日本の研究者はこのプランゲ文庫が貴重な資料であると知りつつも、同大学は日本から遠く、利用が困難で、これまで検閲制度など限られた領域の研究者にしか活用されてこなかった。また出版物そのものの劣化が激しく、ごく一部しか利用に供せられなかった。

  ところが最近、メリーランド大学と国立国会図書館によって雑誌1万3783タイトルがマイクロ化され、一般に閲覧できるようになった。またそのマイクロフィッシュ版も発売されたため、だれでも利用できやすくなった。同時発売の雑誌索引は内容別分類を行い、それぞれのタイトル、出版地、出版者などの情報を掲載して便利である。しかし、各誌、各号の掲載記事、論文、執筆者名を全く載せていないので、目標とする記事などにたどり着くには、時間、根気さらには幸運が必要となる。多角的、有機的な活用が困難であるという難点がある。

これをもう少し効率的に活用できないものかと、占領期雑誌資料を研究上必要とする各大学の研究者約20名が集って目次データ作成委員会をつくり、私が代表となって5年計画で順次データベース化を行うプロジェクトを推進しようということになった。文部省科学研究費助成金(研究成果公開促進費)を申請したところ、2000(平成12)年度の助成金が得られた。

  昨年春には、政治、法律、行政、経済、社会、労働の雑誌タイトル数1420、記事件数24万を扱った初年度の成果物を一枚のCD‐ROMの形で作成することができた。現在は2001(平成13)年度の同助成金によって、教育、歴史、地理、哲学、宗教、芸術、言語、文学の雑誌を対象とした第2年度の作業が進行中である。

  このプロジェクトは、プランゲ文庫の推定ページ数610万、推定冊数15万にもなる全雑誌、全号の表紙、目次、奥付、本文より著者、タイトル、出版者、出版地など40項目を超える情報を入力してデーターベースを作成し、CD‐ROMさらにはウェップで提供する。これらの書誌データを網羅したデーターベースは、この雑誌コレクションの利用価値を飛躍的に高めることになろう。このデーターベースの利用によって、簡単、的確に執筆者や論文名を瞬時に検索することができる。さらに近くにマイクロ版を所有した図書館のないリサーチャーはデーターベースを使えば、国立国会図書館等に足を運ぶことなく、本文を手軽にコピー請求をすることができるようになる。 初年度のCD‐ROMに収録したのは、全体の1割程度と思われる。今後、各分野の雑誌のデーターベース化が進めば、意外な雑誌に思わぬ原稿を載せた執筆者が登場すると思われる。 今回は政治、経済、社会、労働といった社会科学系の硬派の雑誌を対象とした。ところが著名な作家がこの種の雑誌に新作や評論、エッセイを寄稿していることがわかった。

  敗戦直後の日本では、新興の出版社が叢生した。大都市ばかりでなく地方の都市からも多数の雑誌が創刊された。それら群小の雑誌に、生活難にあえぐ有名作家が新作を寄せたり、戦前発表の転載を許した。本誌の特集にあるように、白樺派の武者小路実篤が『政経春秋』46年3月号に寄せた「私は日本人を信用する」という一文は、占領期の彼における天皇の問題を考えるうえで意義深いものだ。宗像和重論文によれば、今回のCD‐ROMには24点の彼の作品が出ているが、うち20件は全集の詳細な著作目録に掲載されていない。佐藤春夫や林芙美子についても、専門家も知らなかった作品名が多数収録されていることも確認できた。

  今回の分野と直接つながると考えられる執筆者でも、新しい発見が随所に現れている。著作目録完備といわれる石橋湛山、大山郁夫、長谷川如是閑でも、それぞれ数点の論文、エッセイが未収録であることがわかった。しかもそのなかには、彼らの当時の考え、姿勢を示す、見逃せない論文がある。

  たとえば如是閑が『速報、先見経済』49年6月28日号に寄せた「現代政治の科学的検討」は、中央大学編刊の目録にはないが、戦争責任観を自ら語ったものとして貴重だと、本特集の堀真清論文は指摘している。このほか、政治家、官僚、法律家、労働運動指導者など当時のリーダーの記事、論文は枚挙に暇がない。たとえば現存の政治家では、中曽根康弘氏のものが10点収録されているが、彼の事務所では所蔵されていないものばかりだという。

  現在入力中の文学やカストリ雑誌に、意外な硬派評論家やジャーナリストが実名あるいは匿名で寄稿しているかもしれない。これらの雑誌には、文学者とは逆に、硬派の評論家やジャーナリストが生活のために、あるいは大衆世論喚起のために、多数な記事を寄せている可能性が高い。

  ところで近代日本のメディア史あるいはコミュニケーション史には、三つの転換期がある。まず第一は明治維新から自由民権期にかけての時期だ。とくに自由民権期には草莽の臣が反藩閥のメディア活動を展開した。しかし一部の政治意識の高いインテリや士族が担い手であったため、彼らへの政府の弾圧でブームは短期間に終息した。

  第二の転換は第二次大戦後の占領期である。敗戦となり、被占領国とはなったものの、長い軍国主義からの重圧から解放された喜びを自分たちのメディアで吐露したいとの欲望が各階層から噴出した。彼らは占領軍を解放軍と見なし、言論、表現の自由を保証した新憲法を拠り所とした。今まで自分の考えや夢を文章で表現したことのない人々が、新しい時代を自分の言葉で表現した。そのエネルギーは生活難ばかりか用紙難、印刷難をも克服するほどの強さがあった。色川大吉氏は自分の人生体験の文章への表現を「自分史」といったが、占領初期の民衆のメディア創刊の一大ブームは、さしずめ「自分誌」の時代ということができよう。「自分誌」の刊行には、思想家、社会主義者など戦前にそのメディア活動が権力に弾圧された自由民権期型のインテリだけでなく、青年団員、引揚者、結核療養者、戦争未亡人など従来メディアに無関係だった人びとが目立った。センカ紙利用のガリ版印刷など等身大の雑誌刊行に走った。

  「自分誌」は困難な時代を克服し、新しい未来を拓く自分のためのメディアであった。その後の社会の激動と多忙な生活のなかで、そのメディアは読者から忘れられ、刊行者もいつとはなしに出版界から消えて行った。そしてそれらの雑誌の現物を所有する者もいなくなった。

インターネットの時代という第三の転換期にプランゲ文庫はマイクロフィッシュ版で刊行されることになった。このデーターベースはこのフィッシュを活用する有力な武器となろう。

  従来の経験と今後の収録予定件数を考慮して、CD‐ROMよりもデータのメンテナンス、動作環境に優れているウエップ版の方を2001年度以降の成果物では選ぶこととなった。現在そのためのプログラムを開発中である。今回のCD‐ROMは国立国会図書館憲政資料室その他に配布中である。また早稲田大学現代政治経済研究所でも公開している。最終的には機能性と利便性さらには時代性を考え、インターネットで一般利用できるようにする予定だが、そのサーバーの設置場所、アクセス形態などは、それまでの利用状況を判断しながら結論を出したいと思っている。実際に本データーベースの利用者の意見を反映した形にしたいので、多くの方々に本データーベースにアクセスされることを願っている。そして本特集と合せてご意見、ご感想を筆者あてにお寄せいただければ幸いである。